2017年11月10日金曜日

進撃の巨人 その2 壁の外の向こう側

※進撃の巨人のネタバレが多数含まれます。全話既読である事前提に進めますので閲覧注意












前回の記事の続きとして、進撃の巨人について書きたいと思います。言いたいことは殆どそっちで書いてしまっているので、是非そちらをご覧の上読んで頂ければ幸いです。

本当に面白く、毎号楽しみにしてはいるのですが、連載開始当初から主人公エレンの言動で、一つだけどうしても引っかかるものがありました。


第1巻 3話
エレン「俺には夢がある…
巨人を駆逐して この狭い壁内の世界を出たら…
外の世界を探検するんだ」

第4巻 14話


序盤はこの「壁の向こうには自由があり、追い求めている世界が広がっている」といった事がエレンのその信念の一つとして描かれています。巨人を駆逐さえすれば、閉塞した壁の中から飛び出し、もっと自由な世界へ歩み出せるんだ、とエレンは夢を見ていました。

一気に話数を飛ばしますが、紆余曲折を経て、エレン達は壁の中で「家畜の安寧、虚偽の繁栄」を貪っていた王族派を倒し、さらに壁の外の巨人達も駆逐しました。


第22巻 90話
巨人を駆逐し、エレン達は念願の「海」を見る


進撃の巨人という作品自体の ”オチ” に、そういった巨人を駆逐し壁の外の、「商人が一生かけても取り尽くせない塩の湖」だとか「炎の水や氷の大地や砂の雪原」が広がる世界へ出ていくんだ、という夢物語なファンタジーとして終わるんじゃないか、という事だけが作品の序盤から読んでいてずっと気がかりでした。

しかし前回書いたように、壁の外の世界にはさらなる絶望がひろがっているのみでした。巨人のような分かりやすい敵だけではなく、その外にはさらに大きな「世界」が敵として、エレン達の生存を脅かしているという現実に直面します。エレン達が戦わなければならないのは、そういった世界そのもの、あるいは歴史や文明といったものでした。


第22巻 90話

エレン「壁の向こうには…海があって 
海の向こうには自由がある
ずっとそう信じてた…
…でも違った 海の向こうにいるのは敵だ 
何もかも親父の記憶で見たものと 同じなんだ…
…なぁ? 向こうにいる敵… 全部殺せば 
…オレ達 自由になれるのか?」

このシーンでもって、進撃の巨人は間違いなく歴史にのこる名作になったと思います。

※余談ですが、エレンは「全部殺せば自由になれるのか」と、皆殺し宣言のように聞こえるような発言をしてはいますが、それを本当に目指しているわけではないと解釈すべきだと思います。リヴァイが言う「不足を確認して現状を嘆くのは大事な儀式だ」というものだと思います。

壁の向こう、巨人を駆逐した先、エレンが夢にまで見た自由の世界。しかしそこには自分達を滅ぼそうとしてくるさらに強大な敵がいるだけ、という現実にエレンは打ちひしがれます。壁の中に存在する敵を倒し、壁の外の敵を駆逐したら、その海の向こうにはさらなる敵がいる。僕らの現実そのものです。

そして、しばしば陥りがちな思考ですが、目の前のわかりやすい敵対する存在に世界の悪性の全てを投影し、それさえ無ければ自分(あるいは自分達)はもっと自由に生きられるのに、もっと活躍できるのに、もっと人生を謳歌できるのに、と思いがちです。しかしこの世の中にそんな分かりやすい「悪」など存在しません。

それどころか、時には敵と交渉したり、取引したり、手を結んだり、共闘したり、あるいは同盟さえ結ぶことすらあります。進撃の巨人の今後は恐らくそんな物語になるのではないでしょうか。

エレン達がその絶望的な世界と戦うように、現実の僕らもまたそうあるべきなんだろう、そう強く感じる作品です。

2017年10月30日月曜日

維新と社民の共依存

「右派」な維新と「左派」な社民(元社民含む)の国会議員たち。彼らは左右正反対なようで、その実は全く同質な非常にたちの悪い政治家であると確信しています。今回はそれについて書きます。

※今回は予め申し上げておきますが、コメントを頂いても対応しないか、あるいは削除等の対応をする事があります。以前からこのブログ以外での某所等々あちこちで維新批判した事がありましたが、その際しばしば維新信者と思しき人物から、熱烈なラブレターを頂くことがありました。何が言いたいのか全く理解できないが維新批判をする僕を許せないという思いだけは熱烈に綴られた熱い熱いラブレターです。僕もできるだけ誠実で在りたいと思う人間ですが、対応しきれる限度がありますので。勿論そういうの以外のコメントは歓迎です。まぁ場末のアクセスの少ないブログなので杞憂だとは思いますが。





●足立康史の嘘


維新の会の衆議院議員の足立康史という人物が、選挙前の公約として
https://twitter.com/haradaryo_net/status/917737285273108480
「小選挙区で落選したら比例復活せずに、政治家として引退する」と、公開討論会で明言しました。「退路を断って戦うので、是非自分に投票してください。」という趣旨の主張になります。そして投票結果は
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2017/kaihyou/ya27.html#k009
見事選挙区落選、比例復活です。

そして開票の翌日に足立康史は
https://twitter.com/adachiyasushi/status/922262251729334273
と、即座に前言を翻し、全く意味が分からない理屈でもって比例復活して国会議員になると宣言しました。

端的に言って嘘をついて有権者を騙したわけです。常識のある人なら、こんな嘘が許されるわけがないのは議論するまでもなく理解いただけるでしょう。残念ながらその常識がない人が多いのか、足立の嘘を許し国会議員になる事を歓迎する人が多く、心の底からおぞましくて呆れ返ってしまいました。(余談ですが、足立が嘘をついて議員になるであろう事はわかりきってはいましたけどね。維新なんてこの程度の「輩(やから)」の愚劣な集団でしょう。)




●目的は手段を正当化するのか


その足立を許し評価する人々の主張を見ると、最も多かったのが「辻元清美のような奴と戦うために足立康史は必要なのだ」といった類のものでした。足立は辻元を舌鋒鋭く批判していたらしいです。僕は興味ないので知りませんが。

確かに僕も僭越ながら、辻元清美のことは蛇蝎の如く嫌わせてもらってます。いや、蛇やサソリのほうが可愛いぐらいですね。可能なら溶鉱炉かなんかに放り込みたいぐらい憎悪してます。鉄にでも溶かして鉄筋にしてコンクリートに埋めてダムとか堤防とかのインフラに使ったほうがこの国の役に立つだろうな、と思うぐらい嫌いです。しかしその辻元を追放する為に犯罪を犯そうと思わないのと同様に、国会議員の嘘つきを許容しようとも思いません。ましてや、そいつらもまた共犯関係にあるのではないのか、と憶測したくなるような奴らならなおのこと。

足立あるいは維新と、辻元あるいは社民系は、互いに批判しながらその実相手の存在に自分の存在基盤を依拠する、「共依存」という現象であると思います。




●共依存とは


心理学でもしばしば使われることもある、元々は「アル中の旦那を世話する奥さん」といった夫婦にある種独特な関係性がある事を指した言葉です。アル中で一人では生活できなく世話してくれる奥さんが必要な旦那と、そんな介護する自分を旦那に必要とされる奥さん、というように互いが互いの存在の必要性を依存しあう事を指します。ある種究極の愛と呼んでもいいかも知れないですが、ただその際に問題なのは、場合によってはアル中そのものを改善しようという意思がなくなってしまう事です。それどころか、旦那はより積極的に自堕落に酒に浸り、奥さんは尚更にそんな旦那を甲斐甲斐しく世話をするようになってしまう事です。

アル中のような悪性のものを介した共依存というのは、それを更に深化させるスパイラルを持つ、非常に危険な依存関係なのです。もちろんアル中といった依存症からの脱却に家族の力が必要だったりするのも事実なのですが、場合によってはそのように事態を悪化させるケースもある、という事です。

これを足立と辻元の関係でみていくと、足立にとって辻元は批判しているだけで支持が固められる非常にお手軽な手段であり、しかもその支持層は、政治家にとって最もついてはならない一つである当選のためについた嘘すら許容してくれるという、政治家であり続ける為にこの上なく貴重な存在である事。辻元にとって足立(あるいは維新)は、左派が常にこの日本の選挙で一定程度の確実な得票を得ている事から、「反右」としての存在意義を強調する為に無くてはならない存在でしょう。まぁ辻元の気持ち悪さなんて述べるまでもないですよね。今更コイツに関して何か書こうとも思わないです。


つまり、足立のhttps://twitter.com/adachiyasushi/status/923602407145332736
こんな発言に見られるように、辻元がいなくなったら国会でプレゼンスを発揮できない足立、そんな足立(維新)への批判票が集まる辻元。足立は辻元を批判することで国会議員になっているし、辻元は足立のような存在がいるお陰で、議席を確保できているわけです。これは正に共依存。


その傍証となるものを示しましょう。http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2017/kaihyou/ya27.html#k010
これは辻元清美の選挙区大阪10区の今回の選挙結果です。まさかの辻元が選挙区トップ当選。こいつ秘書給与詐取の前科持ちですよ。こんなクソ野郎がトップ当選とかあり得ないんですが、この立候補者3名をよく見るとその原因がわかります。

トップ当選が辻元、2位の比例復活が自民党、3位落選したのが維新の立候補者です。もし本当に維新が辻元清美を国会から追い出したいのであれば、自民党と選挙協力をし、ここに立候補者を立てなければ、維新に入っていた票はまず間違いなく自民党へほぼ全て入ったでしょう。つまり自民が選挙区でトップ当選となり辻元は間違いなく落選していたわけです。但し、仮に維新票を全て自民に足した場合、辻元の惜敗率は大体75%で、近畿ブロックの立憲民主は今回惜敗率50%程度で比例当選しているので、恐らく比例での復活当選にはなったとは思います。しかし、政治家にとって選挙区落選というのはものすごく非常に大きな意味を持ちます。これを維新が理解していないわけがありません。

本当にこの国の為をおもうなら、ここは自民と選挙協力をし(水面下での内緒の交渉で構わない)、辻元の発言権を削ぐためにも、絶対に維新の候補者を立ててはならない選挙区だったはずです。それをこの様に対立候補を立て、結果として辻元を当選させるなど、辻元を応援しているのと全く同じであると言わざるを得ません。



足立と辻元、あるいは維新と社民系は、非常に根深い共依存であり、どちらもこの国に仇成す存在である、と僕は結論付けます。

2017年9月26日火曜日

監督降板と希望の党


けものフレンズというアニメが、続編を期待される中、その監督が版元(角川)からの通達によるものだと明言したうえで2期監督から降板になった事を公表しました。完全に死んだ作品だと思われていたのを、ほぼ一人で再興し、一つの大きな流行にまで持ち上げた功労者であるにもかかわらず、だそうです。

かなりの炎上騒動になっているようです。版元の行儀の悪さについては今更言うまでもない社風の会社だし、その批判は当然なのでココでは今回触れません。

ただ、この様子を見ていて、僕としては違和感を禁じえません。一体この騒動の何に違和感があるのか。いくらか考えて仮説を得られたので少し書いていきたいと思います。




結論としては…

騒いでる方々、作品そのもの自体には価値を見出していないのでは? あるいは、ある種のフロックなブームに便乗しているに過ぎない事を半ば無意識下で自覚してやいませんか?

署名運動などがあるように、どうにも「けものフレンズ」と「監督」とを過剰に結びつけているように思います。監督を作品に縛り付けよとしている、と表現したほうが適切でしょうか。勿論監督のその功績は多大なものなのは間違いないでしょう。彼なしではありえなかった、そんな才能の持ち主なのでしょう。

であるならば、その有能さの実績を持つ作家として増した権限や発言力により、次作は間違いなく予算やスケジュール等の制限を緩やかに、より自由に作品が作れるはず。なのに騒いでるファン達にどうして「次作を楽しみにする」という人がこうも少ないのか。勿論そうではない方もいるんでしょうが、少なくとも騒いでる人たち多数には見られない。

本当にその監督の作品が好きならば、今回の一件は、一方で残念であったとしても、もう一方で次の作品を楽しみにするものでしょう。ファンであるならば。それがどうにも、こんな騒動になりつつあるのは、彼ら自身、けものフレンズという作品そのもの自身に対して根本的な興味を持っているわけではないのではないか。

これは彼らにとって「けものフレンズブーム」それ自身がある種のポジティブな「炎上」であり、その作家の作品そのものに本質的な興味があるわけではなく、「"独特な間合いの空気と意外に身が詰まった王道なシナリオのギャップを楽しむ作品"という一連のムーブメント」それ自体が目的化してはいないか。そしてその「ムーブメント」に放り込まれた次のイベントとして、「監督の更迭劇」という第二幕を騒いでるのではないのか。

更に、もしかしたら監督の次作に対しては今回ほどそのブームを楽しめないのではないか、という「自分達のこのムーブメントが実は空虚なものであると実感させられる事に対する恐怖」から、この一連の騒動が起きているのではないか。




この現象、小池百合子の一連の騒動にその類形を見ることが出来ると思います。

1.舛添バッシングにより自分達の選んだ知事を引きずり下ろして
2.小池百合子を選挙によって担ぎ上げ
3.小池はその暗愚さを露呈しているにもかかわらず
4.未だに高支持率を維持している

つまり、舛添を下ろしたらもっと酷いのが出てきた状況で、自分達の選択が誤りであったことを認めたくがないが為に未だに小池が高支持を維持しているように、けものフレンズブームが空虚なものであったと認めたくないというマクロな群集心理による騒動ではないのか。

そんな解釈ができる気がします。



ちなみに僕自身のこの作品の感想を一言で述べるなら、深夜ではなく夕方頃にNHKなんかで放送されるべき良い作品だな、と思います。




※念のため付け加えますが、作家潰しで有名な某少年誌編集部のように、この件によって監督の能力と才能がつぶされる事があってはいけないと思うし、そうなりそうな降板そのものにはかなり批判的に思ってます。ただ同時に、角川には角川の商売上の都合もあるだろうな、とは思います。まぁこのあたりは部外者にはうかがい知れない事ですけども。

2017年9月6日水曜日

Illidan Stormrage



今回はちょっと自己満足投稿





World of WarcraftというMMOの最新のトレイラームービーがあまりに素晴らしかったので、それを下手くそな和訳と、僕が知りうる限りの解説を少々。WoW以前のWarcraftシリーズはプレイしていないし、WoW自体ももう10年近くプレイしていなくて知らない事のほうが多いですがご容赦を。





Turalyon(銀髪Paladin):
「Xe'ra、あなたが再臨されて我々は祝福されました」

Xe'ra(板):
「Turalyon…『選ばれし者』を見つけましたね
Illidan、生まれた時から瞳の光に、約束された未来を持つ者よ」

Illidan(デビルマン):
「そんな生得権(birthright)は随分昔に犠牲にした」

Xe'ra:
「再び一つに戻るために、失ったものを取り戻したくないのか?」

Illidan:
「Legionの終焉のみが、俺の求める全てだ」

Xe'ra:
「我が子よ、そんな些細な事に、汝は十分寄与した。
汝の本当の可能性、取り戻すべき物は眼前にある。
粉々になった形を捨て、光の力を受け入れよ」

Illidan:
「俺は昔、自らの自由と引き換えに力を得たんだ」

Xe'ra:
「予言は果たされなければならない。
(Illidanを束縛)
汝の古い人生は過ぎ去った。
光は汝を新しく作り変える」

Illidan:
「それはお前にくれてやるものではない!」

Xe'ra:
「光は汝の傷を癒やすだろう」

Illidan:
「俺の傷は俺自身だ!」

Xe'ra:
「光が汝の運命だ」

Illidan:
「俺の運命は俺のものだ!」
(目からビーム、Xe'raは粉々)

Turaylon:
「貴様はみんなを絶望に叩き落とした! 裏切り者!」

Illidan:
「お前の信仰心が目を曇らせている
『選ばれし者』などいない
我々のみが…我々自身を救うことが出来る」







Illidan…いいですね…。セリフの全てが魅力的。俺の傷が俺自身だ、なんて凄い。彼は成功者でもなんでもなく、むしろ辛酸ばかり舐めさせられてきた辛い人生であるのに。

僕もあまりWarcraftシリーズのストーリーをしっかり把握してるほうではないので不正確ですが、僕が理解している限りでざっと概略を。IllidanはNight Elfとして生まれ、彼らは「Well of Eternity」という魔力が無尽蔵に溢れ出る泉を持ち、その加護のもとで不老不死であり、自由に魔法を行使していたそうです。

その泉を異世界のBurning LegionというScougeの軍団に目をつけられ、Night Elf達は侵略をうけます。Illidanの双子の兄、MalfurionはWell of Eternityを破壊して魔法を捨てることでそのLegion達から狙われなくしようと提案し、Night Elf達は受け入れ、Scougeもろとも泉を破壊します。Illidanはそれに反対し泉の一部をこっそり持ち出し、Night Elf達の避難先のMount Hyjalで使用し、第二のWell of Eternityを再建しました。しかしそれを咎められ、Illidanは監獄に1万年幽閉されてしまいます。

その後も色々あって、Mount Hyjalが再びScouge達に攻め入られた際、Illidanが片思いをしていたTyrandeは幽閉されたIllidanを開放し、Scougeから助けてくれと請います。Illidanはそんな自分を幽閉した上に恋敵であるMalfurion達Night Elfを助けたり、更にはDemonを倒すためにDemonの力を手にれて悪魔の姿に身を落としたり……。等々しながらめっちゃ頑張ります。でも誰からも評価されずにThe Betrayer(裏切り者)と呼ばれるという。

彼のその生まれながら持つ金色の瞳の光も、力を得る対価としてBurning Legionの親玉Sargerasに焼かれてしまったそうです。


上の動画は、そこからもっと後の今現在「攻め込まれてばかりではダメだ、Burning Legionに攻め込んで倒そう」とAzerothの人々が立ち上がり、Illidanを含め、色んな人達の力を合わせて軍備を進めている一コマのようです。そんな彼が「俺の傷が俺自身だ」とか「俺の運命は俺のものだ」とか…。グッときます。

実際のところ、彼のクラスは彼自身が始祖のDemon Hunterであるし、対Demon特化の能力を持つWarglaive of Azzinothという武器を装備していたりと、その意思は間違いなく本物のようです。

ついでに言えばゲーム内で彼を倒すと、Memento of Tyrandeなんて、小さな花のTrinketをドロップします。Tyrandeとの思い出、というアクセサリー。センチメンタルだなぁ。




……さらについでに、Well of Eternityの魔力を捨てれば狙われなくなるから魔法なんて捨ててしまおう、ってどっかで似た話をよく聞きますよね。曰く、「防衛力、自衛力を持つから戦争を呼びこむんだ。だから自衛隊なんていらない」とかなんとか。

そういう意味でも僕はIllidanが大好きです。


2017年8月31日木曜日

進撃の巨人と "勝てる喧嘩"

※注意 進撃の巨人のネタバレ含みます

9/1 誤字訂正と若干の追記




●勝てる喧嘩と無謀な戦い



戦前の日本軍というものは、どうやら左・右どちらからもかなり批判的に捉えられているようです。左からは、暴虐で邪悪で非人道的で自国のためならどんな蛮行も厭わない狂気の暴力集団として。右からは、無能な上層部が結果的に国を破滅へと追いやった愚劣な集団として。


前者は今更議論しようとも思いません。一体何周遅れの何十年前の議論なのだ、って感じです。未だにそんなの信じてる人とは関わりたくないです。一方後者はしばしば見かける意見であると思います。


曰く、「なぜあのアメリカと喧嘩しようとしたのか」「なぜ真珠湾を叩いて寝た子を起こすような真似をしたのか」「なぜインパール作戦のような無謀な計画を立てたのか」「なぜ特攻などという愚かな戦術を用いたのか」……etc.etc.


僕は戦史に詳しくないので、その作戦の妥当性などについては今回は触れません。むしろそれらの意見を聞く限り、割りと同意する所もあるなぁ、というのが僕の意見です。あるいはよく言われる「愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ」、というように過去の歴史を振り返って批判し学ぼうとするのは正しいと思います。


更に加えて、責任者は責任を取るためにいてるのであり、その結果が敗戦であるのならば、やはりその責は軍指導部や政治家、官僚たちにあったのでしょう。




●現代の「無謀な戦い」




では何が問題であるのか。僕が何を言いたいかというと、その賢者として歴史に学ばんとするはずの人々が、同じ愚策を繰り返そうとしているとしか見えないからです。当時の日本の立ち位置をものすごく大雑把に纏めると



  1. 植民地主義の西欧列強が、覇権国として「世界」を牛耳っている
  2. 日本はその「世界」に対して自国の存立をかけ、挑戦者として戦いを挑む


というのが、滅茶苦茶大雑把な要点です。

この構図、現代でも全く同じだと考えます。


  1. 第2次大戦の戦勝国として、今の世界の「ルール」を掌握する大国
  2. 日本はそのルール下で、押し付けられた戦犯国家という立場からの脱却を目指す

世界のルールとは現在のこの各国のパワーバランスと秩序であり、この世界の秩序とは「正義の連合国が、悪のファシスト枢軸国を打ち倒し世界大戦を終結させて平和をもたらした」という神話のもとに成り立っています。敗戦後のGHQ統治以来、変わらずこの世界に明確にありつづけている、我が国を「戦犯国家」という立場に押し込め、手足を奪い、拘束し、名誉を回復させまいとする、我が国に対する明確な敵意がこの世界には存在しているのです。(ちなみに、それらは中韓のような国が主導して行っているプロパガンダなどではなく、むしろ彼らはそのルールに便乗して日本を貶めることで自らの利益へと還流させているに過ぎません)

「戦犯国家という立場」というのは具体例をあげると、例えば未だに払拭されない、従軍慰安婦や南京大虐殺などという、捏造された大嘘が「常識」としてこの世界にまかり通っている事です。あるいは、東京裁判史観と言われるような、「平和に対する罪」という、連合国側からの極めて一方的な価値観による彼らの自己欺瞞を成り立たせるための「悪役」を我々に押し付けているものです。


理解いただけるでしょうか。僕としては至極当たり前な事を書いているつもりなのですが…。






●進撃の巨人と "敵"


※以下ネタバレ注意
原作既読を前提に進めます。











そして同様に「押し着せられた不名誉と、その認識が支配する世界」というこの世界の一面を描いているのが進撃の巨人であると思います。

46話 ライナーとベルトルトの背後にいる本当の "敵"


壁を破壊した犯人であるライナーやベルトルトは尖兵にしかすぎず、その背後にはより大きな存在があることが示唆されます。ではその背後とは?


主人公たち、壁の中の民であるユミルの末裔エルディア人は、巨人化の力を持ち、その力をもってかつては大陸を支配しました。しかしその後内戦から巨人の力の多くを奪われ、そんな戦争を忌避し、何者からも侵略されない(と思い込んでいた)安全な壁を作り上げその中で生きていました。

しかしその壁の向こう側マーレ人達はかつて侵略された経験から、エルディア人達を「悪魔の末裔」と呼び蔑んでいます。そのマーレはかつては大国であった自国の地位を取り戻すため、壁の中から「始祖の巨人」の力を奪う事を大きな目的としています。更にはそのエルディア人の血を根絶やしにしようとアジテーションとプロパガンダすら行われています。エルディア人がいかに暴虐で残忍でただただ力であらゆるものを奪い尽くした、残虐非道なまさに「人でなし」として扇動され憎悪をたぎらせ続けています。

実際のところは、作中の歴史上たしかにエルディア人達がその圧倒的な巨人の力で平定したのも事実のようです。しかし一方でただ暴虐にその力を使ったわけではなく、その力でもってまさに下部構造として、インフラストラクチャーを構築し文明を大きく発展させました。マーレ人達はそのインフラの恩恵に大きく与りながら、同時にエルディア人を酷く差別し、壁の外のマーレ国内に取り残されたエルディア人を、アンタッチャブルな被差別市民として差別し迫害しながらコントロールしてその奪った巨人の力を利用し国家基盤としています。










89話「敵が巨人という化物だけであればどんなによかったでしょうか。しかし我々が相手にしていた敵の正体は 人であり 文明であり 言うなれば世界です」

そしてそのエルディアの末裔である主人公たちは、「残虐非道なエルディア人」として自分達を敵視する「世界」に対して、生存を賭けて戦います。

これは本当に現状の日本そのままをフィクションに落とし込んだ作品だと思います。先程の戦前・戦後の構図で当てはめれば、


  1. 邪悪なエルディア人を撃退した、正義の国家「マーレ」
  2. エルディア人は「悪魔の末裔」と蔑まれ、自分達を滅ぼそうとするその「世界」と戦う

となると思います。





●現代日本と "敵"


憲法9条と壁だとか、ただただ厭戦的な国民感情だとか、細かく挙げればきりがないですが、現代日本と進撃の巨人はあまりに共通する点が多く、この舞台設定は明らかに日本を暗喩した作品であると考えます。


そうした中、今現在、例えばネット上には声高に "右" 的な言動があります。確かにその多くに僕も同意します。南京問題なんて本当に嘘っぱちだし、日本軍が組織的に人さらいをして性奴隷にした事実などありません(※一応注釈。一部の暴走した軍人がそういった犯罪を犯したという事実はあります。しかし軍が主導して行ったわけではなく、あくまで暴走した個人の犯行であり、またその犯人は軍法会議にかけられそれぞれ裁かれています)。

しかし、その我々の正義を声高に叫ぶだけで、この「世界」に対してそれが通じるのか。我々にとっては紛うことなき正義であろうとも、今のこの「世界」にとっては「純粋悪」としか映りません。正義を主張するだけであらゆる人が耳を傾け、その認識を改めてもらえるなら、今の僕らはこれほどまでに苦労などしていません。僕らが未だに「戦犯国家」としての汚名が晴らせないのは、「世界」はあまりに無慈悲で残酷であまりに強大だからです。


僕らの汚名は戦後70年間の間に着々と築き上げられ定着したものです。それならば同様に70年かけて晴らすしかない、と思います。不名誉に甘んじろ、というのではありません。短絡的な結果を求めると破滅に繋がるぞ、と僕は危惧します。

自らの正義を主張する事自体を否定するのではありません。それは何よりも大事な事だと思います。ただその際、例えば過剰に他国の過去の過ちをあげつらうような言論は慎むべきであろう、と思います。無闇矢鱈と敵を増やさず、戦略的に行きましょうよ。


牟田口中将を無謀な作戦を行った無能であると評するのもいいでしょう。であるならば、今僕らが挑もうとしているこの敵、この「世界」。中韓なんかがラスボスでは絶対にないです。勿論アメリカでもロシアでもない。


僕らが戦おうとしているのはこの「世界」なんです。迂闊な言動は必ず足元を掬われます。戦うなというのではありません。むしろ戦わなければならないと思います。ただし、この「世界」へ無計画に戦いを挑むのならば、我々もまた無能集団であると言わざるをえないでしょう。



Illidan Stormrage「我々を救えるのは我々自身だけだ」

2017年8月10日木曜日

口先核武装論

●核アレルギー


世界唯一の被爆国である我が国ですが、その我が国で「核武装」というとなぜだかアレルギー的に拒絶反応を起こす風潮があります。確かにその悲惨さを、他のどの国よりもまさに身をもって知っているから、ではあるのでしょう。悲惨さを知っているから、反核兵器への世論が強いと言われます。

しかしこれには強烈な違和感を覚えます。

あえて言うならば、「我が国は世界で唯一核武装する事を正当な権利として持つ国家である」と主張したいです。(実際に行使するかどうかは別問題です。現状の世界情勢と外交関係を見ると、まだ現実的だとは思えません)

「自衛権」は何者にもまさる最上位の権利であるならば、その唯一の被爆経験を持つ我が国がそれに対する正当な権利として、核武装する権利を有するのは当然のことではないのか。それがなぜ世界で最も反核な風潮を持つ世論なのか。僕には全く理解できません。

断言します。我が国は世界で唯一の被爆国であるために、他のどの国家よりも最も正当に核武装する権利を有しています。



●口先核武装論


経済用語で「口先介入」という言葉はご存知でしょうか。例えば金融市場や為替市場が異常な値動きをしている際に、日銀や財務省などが公式・非公式に関わらずその値動きに対してちょっとしたコメントや、将来的な介入の可能性などを匂わせるだけで、実際に当局が資金投入したわけでは無いにもかかわらず、値崩れしていたものが持ち直したり乱高下していたのが安定したりします。そんな実際に介入はしていないにもかかわらず、口先だけで相場へ介入したかのような影響を及ぼす事を言います。


では口先核武装論とは?

我が国は、(最近怪しくなってきてますが)紛いなりにも先進国であり、自前の科学技術のみで核武装する事は十分に可能です(実際どの程度日数必要なのかは知りませんが)。また、ミサイル技術に関しても、例えば「はやぶさ」の件に見るように、高いレベルでの技術を有しています。

つまり我が国は、「世界で最も核武装する正当な権利を有し」「開発能力も、ミサイル積載の能力も、十二分に満たしている」、なのに我が国が核武装していないのは、ただその国家の意思として「核武装しない」という選択をしているにすぎません。

その我が国において、例えば防衛大臣が「近隣諸国の情勢を鑑みて我が国においても核武装による自衛を検討せねばならない」と発言した際どうなるか。その能力と権利を有する国家が、最後に意思も持つとなれば、核武装そのものには及ばないにしても、それに近い影響力を持つことができます。

核を持たずに核武装の影響力を行使する。こんなにも平和的な核兵器利用方法は他にないのではないでしょうか。核武装の議論を決して忌避してはならない、と強く思います。

2017年7月25日火曜日

岩盤に穴を開けてもいいの?

加計も森友も、下らなくて興味が全くわかないんだけども(※かといって、与党のしてることが正しいとは全く思えない、という事だけは追記しておきます)、一番許せないのは「岩盤規制」と十把一絡げにあらゆる「規制」を、何かの悪性の持病かのように語る風潮は、本当にうんざりする。

そもそも「岩盤」って、その土地の地盤そのものなんですけども。その規制が岩盤ならば、この国家のまさに土台をささえる硬質な地盤であって、それにドリルで穴開けるだとか、ぶち破るだとか言ってる人は何考えてんだ。この国家の基盤をぶっ壊すって言ってるんだけど?社民党だとかその辺のクソ政党と言ってること変わらんよ。

もちろん不要になったり時代に合わなくなったりしている法規制というのは、沢山あるとおもう。それらを日々更新し改良しつづける態度というのは、とても正しい「保守」的思想だと本当に思う。しかし、近年に起きた「規制緩和」を遠因とする事故やら事件やら災害等、数え切れない程に起きているのに、一体どうして未だにこうも「規制緩和論」が幅を利かせ続けているのか、本当に理解できない。

それらを改良するのではなく、ドリルで穴開けるだのぶち破るだのぶっ壊すという種類の人間とは、「それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。」(三島由紀夫)