2017年8月31日木曜日

進撃の巨人と "勝てる喧嘩"

※注意 進撃の巨人のネタバレ含みます

9/1 誤字訂正と若干の追記




●勝てる喧嘩と無謀な戦い



戦前の日本軍というものは、どうやら左・右どちらからもかなり批判的に捉えられているようです。左からは、暴虐で邪悪で非人道的で自国のためならどんな蛮行も厭わない狂気の暴力集団として。右からは、無能な上層部が結果的に国を破滅へと追いやった愚劣な集団として。


前者は今更議論しようとも思いません。一体何周遅れの何十年前の議論なのだ、って感じです。未だにそんなの信じてる人とは関わりたくないです。一方後者はしばしば見かける意見であると思います。


曰く、「なぜあのアメリカと喧嘩しようとしたのか」「なぜ真珠湾を叩いて寝た子を起こすような真似をしたのか」「なぜインパール作戦のような無謀な計画を立てたのか」「なぜ特攻などという愚かな戦術を用いたのか」……etc.etc.


僕は戦史に詳しくないので、その作戦の妥当性などについては今回は触れません。むしろそれらの意見を聞く限り、割りと同意する所もあるなぁ、というのが僕の意見です。あるいはよく言われる「愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ」、というように過去の歴史を振り返って批判し学ぼうとするのは正しいと思います。


更に加えて、責任者は責任を取るためにいてるのであり、その結果が敗戦であるのならば、やはりその責は軍指導部や政治家、官僚たちにあったのでしょう。




●現代の「無謀な戦い」




では何が問題であるのか。僕が何を言いたいかというと、その賢者として歴史に学ばんとするはずの人々が、同じ愚策を繰り返そうとしているとしか見えないからです。当時の日本の立ち位置をものすごく大雑把に纏めると



  1. 植民地主義の西欧列強が、覇権国として「世界」を牛耳っている
  2. 日本はその「世界」に対して自国の存立をかけ、挑戦者として戦いを挑む


というのが、滅茶苦茶大雑把な要点です。

この構図、現代でも全く同じだと考えます。


  1. 第2次大戦の戦勝国として、今の世界の「ルール」を掌握する大国
  2. 日本はそのルール下で、押し付けられた戦犯国家という立場からの脱却を目指す

世界のルールとは現在のこの各国のパワーバランスと秩序であり、この世界の秩序とは「正義の連合国が、悪のファシスト枢軸国を打ち倒し世界大戦を終結させて平和をもたらした」という神話のもとに成り立っています。敗戦後のGHQ統治以来、変わらずこの世界に明確にありつづけている、我が国を「戦犯国家」という立場に押し込め、手足を奪い、拘束し、名誉を回復させまいとする、我が国に対する明確な敵意がこの世界には存在しているのです。(ちなみに、それらは中韓のような国が主導して行っているプロパガンダなどではなく、むしろ彼らはそのルールに便乗して日本を貶めることで自らの利益へと還流させているに過ぎません)

「戦犯国家という立場」というのは具体例をあげると、例えば未だに払拭されない、従軍慰安婦や南京大虐殺などという、捏造された大嘘が「常識」としてこの世界にまかり通っている事です。あるいは、東京裁判史観と言われるような、「平和に対する罪」という、連合国側からの極めて一方的な価値観による彼らの自己欺瞞を成り立たせるための「悪役」を我々に押し付けているものです。


理解いただけるでしょうか。僕としては至極当たり前な事を書いているつもりなのですが…。






●進撃の巨人と "敵"


※以下ネタバレ注意
原作既読を前提に進めます。











そして同様に「押し着せられた不名誉と、その認識が支配する世界」というこの世界の一面を描いているのが進撃の巨人であると思います。

46話 ライナーとベルトルトの背後にいる本当の "敵"


壁を破壊した犯人であるライナーやベルトルトは尖兵にしかすぎず、その背後にはより大きな存在があることが示唆されます。ではその背後とは?


主人公たち、壁の中の民であるユミルの末裔エルディア人は、巨人化の力を持ち、その力をもってかつては大陸を支配しました。しかしその後内戦から巨人の力の多くを奪われ、そんな戦争を忌避し、何者からも侵略されない(と思い込んでいた)安全な壁を作り上げその中で生きていました。

しかしその壁の向こう側マーレ人達はかつて侵略された経験から、エルディア人達を「悪魔の末裔」と呼び蔑んでいます。そのマーレはかつては大国であった自国の地位を取り戻すため、壁の中から「始祖の巨人」の力を奪う事を大きな目的としています。更にはそのエルディア人の血を根絶やしにしようとアジテーションとプロパガンダすら行われています。エルディア人がいかに暴虐で残忍でただただ力であらゆるものを奪い尽くした、残虐非道なまさに「人でなし」として扇動され憎悪をたぎらせ続けています。

実際のところは、作中の歴史上たしかにエルディア人達がその圧倒的な巨人の力で平定したのも事実のようです。しかし一方でただ暴虐にその力を使ったわけではなく、その力でもってまさに下部構造として、インフラストラクチャーを構築し文明を大きく発展させました。マーレ人達はそのインフラの恩恵に大きく与りながら、同時にエルディア人を酷く差別し、壁の外のマーレ国内に取り残されたエルディア人を、アンタッチャブルな被差別市民として差別し迫害しながらコントロールしてその奪った巨人の力を利用し国家基盤としています。










89話「敵が巨人という化物だけであればどんなによかったでしょうか。しかし我々が相手にしていた敵の正体は 人であり 文明であり 言うなれば世界です」

そしてそのエルディアの末裔である主人公たちは、「残虐非道なエルディア人」として自分達を敵視する「世界」に対して、生存を賭けて戦います。

これは本当に現状の日本そのままをフィクションに落とし込んだ作品だと思います。先程の戦前・戦後の構図で当てはめれば、


  1. 邪悪なエルディア人を撃退した、正義の国家「マーレ」
  2. エルディア人は「悪魔の末裔」と蔑まれ、自分達を滅ぼそうとするその「世界」と戦う

となると思います。





●現代日本と "敵"


憲法9条と壁だとか、ただただ厭戦的な国民感情だとか、細かく挙げればきりがないですが、現代日本と進撃の巨人はあまりに共通する点が多く、この舞台設定は明らかに日本を暗喩した作品であると考えます。


そうした中、今現在、例えばネット上には声高に "右" 的な言動があります。確かにその多くに僕も同意します。南京問題なんて本当に嘘っぱちだし、日本軍が組織的に人さらいをして性奴隷にした事実などありません(※一応注釈。一部の暴走した軍人がそういった犯罪を犯したという事実はあります。しかし軍が主導して行ったわけではなく、あくまで暴走した個人の犯行であり、またその犯人は軍法会議にかけられそれぞれ裁かれています)。

しかし、その我々の正義を声高に叫ぶだけで、この「世界」に対してそれが通じるのか。我々にとっては紛うことなき正義であろうとも、今のこの「世界」にとっては「純粋悪」としか映りません。正義を主張するだけであらゆる人が耳を傾け、その認識を改めてもらえるなら、今の僕らはこれほどまでに苦労などしていません。僕らが未だに「戦犯国家」としての汚名が晴らせないのは、「世界」はあまりに無慈悲で残酷であまりに強大だからです。


僕らの汚名は戦後70年間の間に着々と築き上げられ定着したものです。それならば同様に70年かけて晴らすしかない、と思います。不名誉に甘んじろ、というのではありません。短絡的な結果を求めると破滅に繋がるぞ、と僕は危惧します。

自らの正義を主張する事自体を否定するのではありません。それは何よりも大事な事だと思います。ただその際、例えば過剰に他国の過去の過ちをあげつらうような言論は慎むべきであろう、と思います。無闇矢鱈と敵を増やさず、戦略的に行きましょうよ。


牟田口中将を無謀な作戦を行った無能であると評するのもいいでしょう。であるならば、今僕らが挑もうとしているこの敵、この「世界」。中韓なんかがラスボスでは絶対にないです。勿論アメリカでもロシアでもない。


僕らが戦おうとしているのはこの「世界」なんです。迂闊な言動は必ず足元を掬われます。戦うなというのではありません。むしろ戦わなければならないと思います。ただし、この「世界」へ無計画に戦いを挑むのならば、我々もまた無能集団であると言わざるをえないでしょう。



Illidan Stormrage「我々を救えるのは我々自身だけだ」

2017年8月10日木曜日

口先核武装論

●核アレルギー


世界唯一の被爆国である我が国ですが、その我が国で「核武装」というとなぜだかアレルギー的に拒絶反応を起こす風潮があります。確かにその悲惨さを、他のどの国よりもまさに身をもって知っているから、ではあるのでしょう。悲惨さを知っているから、反核兵器への世論が強いと言われます。

しかしこれには強烈な違和感を覚えます。

あえて言うならば、「我が国は世界で唯一核武装する事を正当な権利として持つ国家である」と主張したいです。(実際に行使するかどうかは別問題です。現状の世界情勢と外交関係を見ると、まだ現実的だとは思えません)

「自衛権」は何者にもまさる最上位の権利であるならば、その唯一の被爆経験を持つ我が国がそれに対する正当な権利として、核武装する権利を有するのは当然のことではないのか。それがなぜ世界で最も反核な風潮を持つ世論なのか。僕には全く理解できません。

断言します。我が国は世界で唯一の被爆国であるために、他のどの国家よりも最も正当に核武装する権利を有しています。



●口先核武装論


経済用語で「口先介入」という言葉はご存知でしょうか。例えば金融市場や為替市場が異常な値動きをしている際に、日銀や財務省などが公式・非公式に関わらずその値動きに対してちょっとしたコメントや、将来的な介入の可能性などを匂わせるだけで、実際に当局が資金投入したわけでは無いにもかかわらず、値崩れしていたものが持ち直したり乱高下していたのが安定したりします。そんな実際に介入はしていないにもかかわらず、口先だけで相場へ介入したかのような影響を及ぼす事を言います。


では口先核武装論とは?

我が国は、(最近怪しくなってきてますが)紛いなりにも先進国であり、自前の科学技術のみで核武装する事は十分に可能です(実際どの程度日数必要なのかは知りませんが)。また、ミサイル技術に関しても、例えば「はやぶさ」の件に見るように、高いレベルでの技術を有しています。

つまり我が国は、「世界で最も核武装する正当な権利を有し」「開発能力も、ミサイル積載の能力も、十二分に満たしている」、なのに我が国が核武装していないのは、ただその国家の意思として「核武装しない」という選択をしているにすぎません。

その我が国において、例えば防衛大臣が「近隣諸国の情勢を鑑みて我が国においても核武装による自衛を検討せねばならない」と発言した際どうなるか。その能力と権利を有する国家が、最後に意思も持つとなれば、核武装そのものには及ばないにしても、それに近い影響力を持つことができます。

核を持たずに核武装の影響力を行使する。こんなにも平和的な核兵器利用方法は他にないのではないでしょうか。核武装の議論を決して忌避してはならない、と強く思います。