筒井康隆の「死にかた」という短編について。
10人ほどのオフィスの一室に何の前触れもなく、金棒を持った鬼が現れて始まる。
鬼は何の感情ももたず、ただ無表情に一人ずつ金棒を振り下ろして殺していく。その際それぞれみんな様々な「死にかた」を演じる。
最初の一人目は何かの冗談かと思って無視して殺される
二人目は鬼の非道を非難して殺される
三人目は鬼を茶化して誤魔化そうとして殺される
四人目は鬼なんかいないフリで逃げようとして殺される
五人目は鬼に色仕掛けで命乞いをするも殺される
六人目は隣室から惨状を嗅ぎ付け面白がってたら殺される
七人目は鬼に殺されるぐらいならと自殺する
八人目は自分を後回しにしてくれと懇願して殺される
九人目は自ら鬼に首を差し出し、鬼を激怒させ殺される
十人目は鬼を懐柔したり、他に責任転嫁しながら殺される
最後に残った「オレ」は泣き叫んで小便もらしながら助けてくれと精一杯命乞いをする。そうすると鬼は「やっとまともな反応を示すやつを見つけた」「死にたくないといってまともに命乞いをしたやつはお前だけだよ」といって呵呵と大笑する。
恐る恐る「オレ」は自分だけは助けてくれるのか?と尋ねると、鬼は「いや。やっぱり殺すのだ」といって金棒を振り下ろすところで終わる。
西部邁の自裁を、「偉そうに豪語しながら一人で死ねなかった臆病者だ」とか「死ぬ大義を語ったくせに、最後に人に迷惑をかけて死んでいった」とか「かっこ悪い一人で死ね」とか「自身の家族や幇助者の家族のリアル生活をぶっ壊しやがって」とか「あの死に方の思想に価値がない」とか「寂しがりやのメンヘラジジイ」とかまぁみんな色んな事を言ってるんだけども。
どれもこれもまったくもって度し難いと断言する。死なんてのはこの鬼のように、暴力的で、一方的で、にわかに、否応なく、逃れようもなく、突然眼の前に降って湧くもんだ。
それをどうして、どいつもこいつもこんなに西部邁を馬鹿にできるんだろう。自分にも、いつかこうして理不尽に鬼に殺される日が来るのだ、と自分に置き換えて考えられないんだろうか。彼らは自分に死ぬ順番が回ってきた時、西部邁よりどれほど立派に死んでみせるんだろう。
その「死にかた」は如何程か。
いいですねぇ
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