2018年4月10日火曜日

筒井康隆短編「死にかた」と西部邁

筒井康隆の「死にかた」という短編について。

10人ほどのオフィスの一室に何の前触れもなく、金棒を持った鬼が現れて始まる。

鬼は何の感情ももたず、ただ無表情に一人ずつ金棒を振り下ろして殺していく。その際それぞれみんな様々な「死にかた」を演じる。

最初の一人目は何かの冗談かと思って無視して殺される
二人目は鬼の非道を非難して殺される
三人目は鬼を茶化して誤魔化そうとして殺される
四人目は鬼なんかいないフリで逃げようとして殺される
五人目は鬼に色仕掛けで命乞いをするも殺される
六人目は隣室から惨状を嗅ぎ付け面白がってたら殺される
七人目は鬼に殺されるぐらいならと自殺する
八人目は自分を後回しにしてくれと懇願して殺される
九人目は自ら鬼に首を差し出し、鬼を激怒させ殺される
十人目は鬼を懐柔したり、他に責任転嫁しながら殺される

最後に残った「オレ」は泣き叫んで小便もらしながら助けてくれと精一杯命乞いをする。そうすると鬼は「やっとまともな反応を示すやつを見つけた」「死にたくないといってまともに命乞いをしたやつはお前だけだよ」といって呵呵と大笑する。

恐る恐る「オレ」は自分だけは助けてくれるのか?と尋ねると、鬼は「いや。やっぱり殺すのだ」といって金棒を振り下ろすところで終わる。


西部邁の自裁を、「偉そうに豪語しながら一人で死ねなかった臆病者だ」とか「死ぬ大義を語ったくせに、最後に人に迷惑をかけて死んでいった」とか「かっこ悪い一人で死ね」とか「自身の家族や幇助者の家族のリアル生活をぶっ壊しやがって」とか「あの死に方の思想に価値がない」とか「寂しがりやのメンヘラジジイ」とかまぁみんな色んな事を言ってるんだけども。

どれもこれもまったくもって度し難いと断言する。死なんてのはこの鬼のように、暴力的で、一方的で、にわかに、否応なく、逃れようもなく、突然眼の前に降って湧くもんだ。

それをどうして、どいつもこいつもこんなに西部邁を馬鹿にできるんだろう。自分にも、いつかこうして理不尽に鬼に殺される日が来るのだ、と自分に置き換えて考えられないんだろうか。彼らは自分に死ぬ順番が回ってきた時、西部邁よりどれほど立派に死んでみせるんだろう。

その「死にかた」は如何程か。

2018年4月8日日曜日

偶像・西部邁 その2

http://best-times.jp/articles/-/4570 より引用

藤井 京都学派の哲学者、西田幾多郎の哲学「絶対矛盾の自己同一」も適菜さんがおっしゃったことと同じです。 日本的に言うと「和をもって尊としとなす」ですし、西欧でも「矛盾との融和」の力を「愛」と呼んでいる。

適菜 ヤスパースも言っていますが、哲学は答えを出すことが目的ではなく、矛盾を矛盾のまま抱えることだと。知に対する愛なんです。


「絶対矛盾の自己同一」
「矛盾を矛盾のまま抱えること」

ものすごく好きな言葉です。

西部邁がその主張と矛盾した最後を迎えたとしてなんだというのだろう。矛盾した西部邁の存在を抱えながら、それを受け入れて評価して次へつなぐ事が「保守」だと僕は思う。現実的に刑事上(形而上ではなく)の問題だとかは、そりゃあるし、良いか悪いかで言えば悪い事なんだろうとは思う。

だからってなんだというのだろう。人間は矛盾した存在で、それを抱えて生きるのが保守的だと、僕はむしろそう教わった。画一的な答えを出せない、出しようがないから人間で、それを求めるのは革新や設計主義の類だ、と。無謬な西部邁像を最後まで求める事こそ妄信的な側面が潜んでると思う。

削除されたけどキャッシュに残ってた動画から、西部先生最後のセリフの書き起こし。

人間はやはり、たった1回の人生で、他愛の無い人生ではあるが、まぁまぁ自分では納得できる方に近づけていこうと、いう方を選ぶもんですね。よりより基準・規範があるはずだ、と。結局一生かかってもそれは「これですよ」というふうに分かりやすくは示せないもんだろうけどね。でもそれを求めて、喋って書いて喋って書いてしているうちに、ほんっとに幸いなのは死ねることなんだ。これは後俺ね1000年同じことやれと言われたら「もうお願いですから死なせてください、もういいんです」と(笑)

絶対神や仏には近づけない。近づけば近づくほど、神と仏は遠のいていく。まぁ人間とはそういうもんだというね、当たり前の自覚の元にやれば、日本社会もねこんなギスギスもう、子供の騒ぎ、愚かしい状態から抜け出られるであろう。しかし、残念ながら抜け出ることは不可能であろう、と。結局人間はこういう事を今後ともこういう事をやり続けやり続け…。という事で終わり!


絶対的なものを示すことも、完璧な終末を遂げることを出来るのも不可能だし、自身がそうあれないように、この社会も矛盾を抱えながら続いていくし、そんな矛盾を抱えながら生きて死ぬ。

そういう事だと僕は理解します。

2018年4月7日土曜日

偶像・西部邁

この記事この記事前回の記事の続き

歳を重ねないと見えない事ってあるもんだし、もう病気で体が動かなくなってしまったら気力も衰えて変節することってあると思うよ…。80近い老人の最後の最後、完全に体が動かなくなるまで高潔で無謬であり続ける事を求めるなんて、それを貫き通して死ぬことを求めるなんて、酷だと思うよ。

現代日本の思想にあれほど最後の最後の瞬間まで貢献し続けて、もうこれ以上行ったら自裁する事すらできなくなってしまう前に、誰かに少し手伝ってもらったとしたっていいじゃない。頑張り続けた爺さんの最後のワガママじゃないか。許してあげようよ。

自分も同じ歳まで生きて、同じ様な境遇に生き、同じような病気にかかり、同じだけこの国に貢献をし続けて、その上で西部邁以上に高潔さを貫き通せた人間だけが、西部邁を批判できるんじゃないの? そんな人この世にいるの? 西部邁だって人間だったって事だよ。

西部邁の、そんな人間的な弱さを認められずに、無謬な超人性を今際の際まで求めることこそ、カルト的であると僕は断言する。自殺幇助した弟子にもしカルト性があったとしたら、その人間西部邁としての弱さを否定するんじゃない? つまり、西部邁の最後に見せた弱さを否定する人にこそカルト性の萌芽があると僕は批判する。

最後の最後まで高潔であろうとしたけどなりきれなかった西部邁の弱さを手伝うという事こそ、西部邁の弱さを認め、非カルト的に、西部邁のあり方と向き合ったといえると思う。

もちろん、自分の弟子を罪人にしてしまったことは問題であるのは言うまでもない。そこは否定しないんだけど、だからこそ、そこが西部邁も人間であった、って事なんだ。

以前にこの記事で書いた、筒井康隆の「敵」は、実は今回の話を念頭において書いてた。周知の事実なので書いてもいいと思うけど、西部邁が本当に自殺の準備を進めていたという事は、本人も番組等でしばしば口にされてたし、公然の事実であったと思う。

渡辺儀助と西部邁はプロフィールを並べただけでもよく似ていて、80近い老人で、元大学教授で、奥さんに先立たれ、誇り高く生きるも、心身ともに衰えを日々実感している。そんな敬愛すべき爺さんです。もちろん細かい所では色々差異はあるけども。

一番大きな違いは、渡辺儀助は自裁の手筈をととのえ後は実行に移すのみであったが「敵」である耄碌に襲われ痴呆を発症し実行できなかったこと。西部邁は実行したこと。

西部邁が渡辺儀助みたいに、「呑便だらり」となってしまう自分に耐えられなかったとして、それを手伝った人がいるとして。そんな西部邁の人間らしさを、弱さを、可謬性を、認めてあげてもいいじゃない。それを否定して「西部邁が最後の最後で間違えた! 彼も言行の不一致ではないか!」と批判するなんて、優しくないよ。

僕は、偶像・西部邁を否定します。
そして、人間・西部邁を受け入れます。
その上で、超人であり続けようとした西部邁を心から尊敬します。

2018年4月6日金曜日

自殺幇助について書き散らし

他所で言えないからココで書き散らし…

80近い死を覚悟した爺さんの自殺幇助で逮捕するなんて、犯罪として立件しようとするなんてどうかと思うよ。警察も忖度して、他殺ではないという確証さえ得たら不起訴で終わらすべきだと思う。

人生目一杯使って最後の最後まで自分の良識を社会に残してたら、病で体が思うように動かなくなって自裁すら覚束なくなってしまい、少しばかり手伝ってもらったって、その人の思想は毀損していない、と僕は思うよ。

三島由紀夫なんて、自分を信奉する楯の会の若者数名を巻き込んで市ヶ谷駐屯地を占拠してクーデター未遂をおこして割腹自殺した。その時に楯の会の森田必勝って人は三島由紀夫に追従して割腹自殺したぐらいだ。その三島由紀夫の思想をポジティブに捉えられる人なら、西部邁だって同じ様に、その残した物をポジティブに解釈して、その思想を紡いでいくべきだと思うんだ。

この今の日本の欺瞞を批判して正当性を語るなら、その欺瞞に守られて生きる僕らもまた欺瞞でしかなくて、最後はその欺瞞に体当たりでぶつかって砕け散るしかなくなってしまうのよね。三島由紀夫の演説の最後のセリフは、「諸君の中に、一人でも俺といっしょに立つ奴はいないのか」と自衛隊員達に呼びかけても野次しか帰ってこないのを見て自決していった。勿論本当にクーデターを起こせるなんて、彼自身信じてたわけでは無いはと思う。


昨今でこそ、この三島由紀夫の行動をいくらかその意味を解釈する人たちは表れて来ているかも知れない。でもその当時は「右翼かぶれの作家が自分の美学に殉じて華々しく死ぬなんて、馬鹿なことをしでかした」みたいな風潮だったらしい。僕も伝聞でしか知らないけど。


実際見てみれば分かる通り、当の自衛隊員達さえもが三島に対して激しく野次を飛ばしてる。やはり当時はそういう風潮だったんだろうね。言うまでもなく左翼全盛期だし。

西部邁の死にしたって、今の僕らじゃそれを理解できるようなものではなくて、なおかつどう解釈していくかはこれからの僕ら次第なんじゃないのかなぁ。