2018年1月3日水曜日

馬鹿なことを言う権利 その2

前回の記事の続き




あまりに目に余る…。




オルテガ先生はこの手のタイプの人間を徹底的に批判しています。


かれら(大衆)の心の根本的な構造は、閉鎖性と不従順さでできているからであり、事物にたいしてであれ、人にたいしてであれ、自分らを越えた向こう側にあるものに服従する機能が、生まれつき欠けているからである。 (p.78)
大衆は大衆でないものとの共存を望まない。大衆でないすべてのものを死ぬほど嫌っている。(p.91)

紛いなりにも、朝生は30年以上の伝統ある番組で、僕も記憶にありますが、昔は本当にこの馬鹿みたいな幼稚な非武装中立論を叫んでた奴らがいたんですよね。しかしさすがに馬鹿すぎて駆逐されたという経緯があります。彼の知的不誠実さは、その30年の議論の結果を無下にし、30年分巻き戻そうとする所業であり、人間の文明の発展を阻害する行為にほかならないんですよ。


文明の、ある特定の原理に関心がないというのではなく、文明のいっさいの原理に興味がないのである。(p.95)
現代の大衆的人間は、じっさいに原始人であって、この原始人が文明の古い舞台のなかに書割からすべりこんできたのである。(p.97)

何よりも度し難いのは、学者に食って掛かる際に彼は「己の無知」を武器に食って掛かる有様。そして反論できなくなると、次は「反論できないこと」を武器に殴り掛かるという。

こんなのを重宝しようとしているらしい、田原総一朗も相当罪が深い。むしろ、発展しようとする議論に対して、意図してこの手の馬鹿を混ぜる事で振り出しに戻し、例えば日本の防衛力の強化への前提となる世論形成を阻害しようとする明確な悪意があるのではないか、と解釈せざるを得ません。

危険な潮流を感じますね…。

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