けものフレンズというアニメが、続編を期待される中、その監督が版元(角川)からの通達によるものだと明言したうえで2期監督から降板になった事を公表しました。完全に死んだ作品だと思われていたのを、ほぼ一人で再興し、一つの大きな流行にまで持ち上げた功労者であるにもかかわらず、だそうです。
かなりの炎上騒動になっているようです。版元の行儀の悪さについては今更言うまでもない社風の会社だし、その批判は当然なのでココでは今回触れません。
ただ、この様子を見ていて、僕としては違和感を禁じえません。一体この騒動の何に違和感があるのか。いくらか考えて仮説を得られたので少し書いていきたいと思います。
結論としては…
騒いでる方々、作品そのもの自体には価値を見出していないのでは? あるいは、ある種のフロックなブームに便乗しているに過ぎない事を半ば無意識下で自覚してやいませんか?
署名運動などがあるように、どうにも「けものフレンズ」と「監督」とを過剰に結びつけているように思います。監督を作品に縛り付けよとしている、と表現したほうが適切でしょうか。勿論監督のその功績は多大なものなのは間違いないでしょう。彼なしではありえなかった、そんな才能の持ち主なのでしょう。
であるならば、その有能さの実績を持つ作家として増した権限や発言力により、次作は間違いなく予算やスケジュール等の制限を緩やかに、より自由に作品が作れるはず。なのに騒いでるファン達にどうして「次作を楽しみにする」という人がこうも少ないのか。勿論そうではない方もいるんでしょうが、少なくとも騒いでる人たち多数には見られない。
本当にその監督の作品が好きならば、今回の一件は、一方で残念であったとしても、もう一方で次の作品を楽しみにするものでしょう。ファンであるならば。それがどうにも、こんな騒動になりつつあるのは、彼ら自身、けものフレンズという作品そのもの自身に対して根本的な興味を持っているわけではないのではないか。
これは彼らにとって「けものフレンズブーム」それ自身がある種のポジティブな「炎上」であり、その作家の作品そのものに本質的な興味があるわけではなく、「"独特な間合いの空気と意外に身が詰まった王道なシナリオのギャップを楽しむ作品"という一連のムーブメント」それ自体が目的化してはいないか。そしてその「ムーブメント」に放り込まれた次のイベントとして、「監督の更迭劇」という第二幕を騒いでるのではないのか。
更に、もしかしたら監督の次作に対しては今回ほどそのブームを楽しめないのではないか、という「自分達のこのムーブメントが実は空虚なものであると実感させられる事に対する恐怖」から、この一連の騒動が起きているのではないか。
この現象、小池百合子の一連の騒動にその類形を見ることが出来ると思います。
1.舛添バッシングにより自分達の選んだ知事を引きずり下ろして
2.小池百合子を選挙によって担ぎ上げ
3.小池はその暗愚さを露呈しているにもかかわらず
4.未だに高支持率を維持している
つまり、舛添を下ろしたらもっと酷いのが出てきた状況で、自分達の選択が誤りであったことを認めたくがないが為に未だに小池が高支持を維持しているように、けものフレンズブームが空虚なものであったと認めたくないというマクロな群集心理による騒動ではないのか。
そんな解釈ができる気がします。
ちなみに僕自身のこの作品の感想を一言で述べるなら、深夜ではなく夕方頃にNHKなんかで放送されるべき良い作品だな、と思います。
※念のため付け加えますが、作家潰しで有名な某少年誌編集部のように、この件によって監督の能力と才能がつぶされる事があってはいけないと思うし、そうなりそうな降板そのものにはかなり批判的に思ってます。ただ同時に、角川には角川の商売上の都合もあるだろうな、とは思います。まぁこのあたりは部外者にはうかがい知れない事ですけども。