2019年7月8日月曜日

FF14 5.0ストーリー雑感の雑記


備忘録がわり


FF14の5.0のストーリー、個人的には不満だった。不完全な人間が不完全なまま、ただ生存競争に勝ち抜いただけの事に思える。人間の不完全さを描くのは良いと思うけど、それに「結論」を出してはイカン。あの問に正解はないのに、あれで大団円としてしまってはいけない。

不完全さを問うたのなら不完全なオチにしないと。人間がそこから脱却できたわけではないんだから。読後感の悪い純文学のように。現象的には、ただ暴力的に古代人の生き残りを排除しただけだからなぁ。彼らが今までやってた事と大して変わらん。もちろん自衛という名目はあるけど。でもアシエン側にしたってカルネアデスの板ってやつで、彼らは彼らの生存がかかってる。

神の使徒であったはずの人間が、原罪を抱えてエデンから追放されるというのは古典的なテーマなんだから、それを取り上げる以上、古典的な結論は避けてほしかった。

ダクソシリーズなんかも似たようなシナリオだけど、あっちはきっちり人間の不完全さをそのまま俎上に乗せて、世界を終わらせたからなぁ。まぁゲーム的な制約の多いMMOを同列には語ってはいけないけど。薪の王がエメトセルクで、亡者が現人類ってとこか。そう解釈すりゃ色々見えるかしら。火継ぎエンドがエメトセルクの目的、火継ぎの終わりがヒカセン、火の簒奪者がヒカセンの前世ってとこかな。そういう意味でエメトセルクが、現人類の命をハエぐらいにしか尊重しないのも当然なわけだ。ダクソで亡者達の命を誰も尊重しないように。

ダークソウル3の火継ぎの終わりは、文明の終わりというのを描いた稀有な作品で、本当に素晴らしかったからなぁ。ただシナリオとして好きなのは火継ぎエンドだけど。たとえどれ程弱く衰えても、それが可能なかぎり守り伝えゆく、というのが素敵。そういう意味でエメトセルクに共感する。

もちろん前提として、人間も生き物なんだから生存競争という原理原則は全く否定しないし、そこから逃れられないんだけどね。でも、災厄を防ぐために半数の人間が自ら命を差し出したような貢献できんのか、というエメトセルクの指摘にたいして、暁もヒカセンも答えを出せてないわな。まぁ不可能なんだが。だからこそ、エメトセルクを排除しただけがオチというのは受け入れがたいね。

エメトセルクが背負ってた同胞たちの魂(?)が、今回失われたという事も見なかった事になってるしなぁ。善良たる英雄のヒカセンがアーモロート人の魂は無視するのは、アンバランスと言わざるをえんね。彼らはすでに滅びの運命だったというなら、水晶公が時間遡及までして介入した事も運命の否定なわけで。自分たちの滅びの運命は否定して、アーモロート人には運命を受け入れろというのはダブスタになる。

もちろんだからといって、受け入れて死ね、とは言わない。エメトセルクと戦うのも自衛で、これもカルネアデスの板なわけだ。ただ、結局ここで議論が停滞しているだけで、その次を描けないのなら、拙速な「答え」で物語を完結させちゃいけないね。

0 件のコメント:

コメントを投稿